京都伝統御念珠

御数珠・御念珠の功徳

御数珠・御念珠の功徳

 仏前で合掌礼拝する際は、必ず念珠を手にかける事になっております。念珠を手にかけることによって心が引き締まります。

 昔、お釈迦様御在世の時、難陀国の毘瑠璃王は、使をもってお釈迦様に申し上げました。”我が国は、常に戦乱があり、五穀実らず、しかも悪病流行して国を治めることが困難で多忙であります。政治を執りつつ仏の道を修行してゆきたいと思いますが、どうしたならばよいでしょうか”と、たずねたのであります。するとお釈迦様はそれは難しいことはない。無患樹の実を百八を糸でつないで数珠を作り、それをいつも手から離さず隙あるごとに、心から南無阿弥陀を称えつつ一つずつ、つまぐれば、おのずから心は静まり、煩いをのぞき、正しきに向かい間違いの無い、政治をする事ができる。”と仰せになりました。これを聞かれた王様は、非常に喜ばれ、お釈迦様のおいでになる方を伏拝み、”私は、これから、必ず仰せの通り致しましょう。”と誓い、早速無患樹の実を沢山集めさせ、千の数珠を作らせ、親戚や家来でもに持たせ、王様自身はいつも手から離さず、隙さえあれば、つまぐって、心より南無阿弥陀仏を称えられたそうです。

そして何日かたってから、王様はお釈迦様をお招きして、

皆とともに法話を聞かれました。これが念珠の始まりと言われています。

 珠の数が百八個となったのは、人の心が百八にも動き変り

乱れるということからで、これを俗に、百八の煩悩と言われております。

その乱れやすい心が、仏の御教えによって、よき心にみちびかれていく、

それを受け取らせようというので、そのように仰せられたようであります。

 珠の中を貫いてる糸は、仏の心を私達の心の中に通しているわけであって

それを円く輪にしてあるのは、心が円く、素直になることを意味し、

心の平和を表しているのであります。仏前におまいりする時は元より、

できれば、いつも数珠を手にかけて、自分の心をよきに導きたいものです。

そのような意味をもった念珠ですから、大切に扱うようお願い致します。

 歴史上仏教の伝来とあいまって修行をする時や、経を読む時などに

必要な道具であり、ご先祖をまつり、感謝を込めて手を合わせる時に使ったり

現代においては、ほとんどが仏式であるということが主たる理由ですが、

葬儀の際に用いるイメージが一番強く、マナーの一つとなっています。

 本来なら百八の念珠を持つのですが、現在は形式化し、

これを半分の五十四ヶに持ちやすい様にして使ったり、

さらに四半分の二十七ヶに、又十八ヶ玉・二十二玉などと持ちやすいように

工夫して使用しております。

 お念珠は、使って下さる方の事を想いながら

一つ一つ職人が真心を込めて手作りで制作しております。

お念珠は使用するものとしての性質上、いつかは傷み、

切れたりする事となってしまいます。昔の人は切れたり壊れたり致しましても

縁起が悪い意味としてではなく悪縁が切れたと捉えられてきました。

お守りとしても意味の深い御念珠…大切にお使い頂ければ幸いです。

念珠の多用途性

ご存知ですか?念珠の多用途性  

お守り…本来の意味です。

祝い品…「寿珠」とも書かれ結婚祝いや成人の祝い、その他の

     贈り物になります。

法要品…ご先祖をまつり、感謝を込めて手を合わせる時につかう

     ものです。

宗教用具…歴史上仏教の伝来とあいまって修行をする時、経を読む

     時などに必要な道具です。

儀礼品…一般的に現代においては、このイメージが一番強く、

     実際に使われるのもこの時が一番多く、

     葬儀のほとんどが仏式であるということが主たる理由

     ですが、今では形式化し、マナーの一つとなっています。

     本来は故人の煩悩、悪霊が見送りの人に乗り移るのを

     防ぐお守りとして、葬儀の際に持つものです。